sweety than chocolate

 ――この期に及んで心の準備ができない。

 世の女性が華やぎ、悩む、バレンタイン決戦当日の昼休みだった。
 は鞄の底、友人と交換したチョコに埋もれている本命チョコに頭を悩ませていた。
 大人びた後輩のイメージに合わせ、ブランデーを少し利かせたビターなトリュフチョコを作った。それはいい。中身を頑張ったなら見た目も頑張ろう! と、ラッピングも凝り、モスグリーンの箱にクリーム色のリボンをかけた。それもいい。忘れないようにと玄関の目の付く所に置き、朝、きちんと鞄に入れることができた。
 我ながらとても偉いと思う。

 そこまでやっておいて、心の準備ができていない。

 毎年毎年、チョコレート一つに一喜一憂する同級生を他人事で見ていたツケがここに来てやってきた。
 ああ過去の友人たちよ、君たちの雄姿をもっと目に焼き付けておけばよかった。と後悔するも、時間は戻らない。ちなみに今の友人たちは昼食を食べ終えると、誰からともなく、はにかみながら包みを抱えてどこかへ行ってしまった。健闘を祈らずにはいられない。グッドラック。
 そして自分はどんな顔をしてチョコを渡そうか。

 ひとまず逸る心を何とかしよう、そうしよう。
 トリュフチョコの試作品が入った包みを取り出し、むしゃむしゃ食べる。糖分だ、糖分を摂取して頭を落ち着かせるんだ。
 ココアパウダーを振った茶褐色の小さな球体を口の中へ放り込めば、たちまちに甘さが舌の上に広がる。思わず顔がほころぶほどに。
 製菓用のクーベルチュールチョコをきちんとテンパリングして作ったトリュフチョコの試作品は口どけが滑らかで、我ながら美味しくできたのではないだろうか。
 試作品でこれなのだから、本番用に良いチョコを用いた本命チョコは、もっと――。
 そこへ、ガタンと椅子の音を立てての前の席に人が座った。席の主は所属部活のミーティングのため昼休み開始直後から姿を見ていない。が。
「ここ、座るよ」
「っうぇ、シ、シンク!? ここ、二年の教室だけど!?」
「知ってる」
 放課後の部活まで会わないだろうと思っていた、本命チョコを渡す相手が向こうからやって来た。眉間に皺を寄せて不機嫌そうにしている。そんな表情も様になっているのだから、惚れた側としては見惚れそうになる。
 ――だめだ。末期だ。
 内心で頭を振る。

「もしかして、機嫌悪い?」
「まあね……。バレンタインって、どうしてこう面倒なんだ……断るのも面倒……」
「……受け取らないんだ?」
「お返しを期待されるから嫌だ。手作りも困る」
 そう言って、心底面倒くさそうに溜息を吐いた。

 ――手作りは困る。
 まさしく手作りチョコを用意してきたは、さっきまでウキウキとしていた気持ちが――認めよう、確かに自分は浮かれていた――シンクの一言でみるみるとしぼんでいくのを感じた。

 ――いようし、手作りがダメなら、放課後にいいチョコを買ってくるか!
 でも近所のコンビニに売ってるかな、っていうかバレンタイン当日だし売り切れてたりして。作ったやつは帰ってから自分で食べよう、そうしよう……。
 切り替えも早く、先ほどとは別の問題に悶々とし始めたの内心など知らず。チョコを渡したい相手は、踏み台もとい試作品を指さす。

「……それ、の手作り?」
「う、うん、まあ」
「そう。じゃあ、もらうよ」
「えっ!?」

 手作りは困る、と言い放ったその口に、シンクは手作りのトリュフチョコ試作品を放り込んだ。噛み砕き、飲み込み、あっという間に二粒目を口に放り込む。

「……手作りは困るって、いま……」

 は呆然と呟く。食べてるじゃないか、手作り。
 でもなんで? 疑問が湧き出す。
 三粒目に指を伸ばしながらシンクが答える。

「知らない奴からのが嫌なだけさ。何入れられてるか分からないだろ? 昔はそれで酷い目にあったからもう二度と、知らない奴からのは御免だね」

 知らない奴じゃないなら、受け取ってもらえる。
 ひとまず、鞄の中に忍ばせた本命チョコは渡せそうだ。内心で安堵の溜息を吐く。
 まったく心が忙しい。後輩一人に心が踊らされる。でもそれも嫌ではないのだから、困る。
 ――困るけれども、嫌ではない。

 安心すると、次はちょっとした不満が湧いてきた。試作品チョコがもの凄い速さで消えていっている。包みの中は残りが三分の一ほどに減っている。全てシンクの胃の中だ。

 そんなにお腹が空いているなら、ご飯をきちんと食べればいいのに。一度に食べすぎると鼻血出すよ。カロリー取りすぎてニキビできるんじゃないの。違う。どれも違う。
 そうじゃなくて、言いたい。
 試作品じゃなくて、成功のための踏み台じゃなくて、

 ――きみのため、きみのためだけに、きみを想いながら作った成功作がちゃんと別にあるんだ。と。

 だが、ここで言えたなら、は昼休みに一人で悶々としていなかった訳である。
 だからせめて、と、探りを入れてみる。
「味は、どう? ……美味しい?」
「……そうだね……」
 ぴたりと、シンクの指が止まった。そして、うろ、と視線をさ迷わせ始める。

 ――そうだね? そうだね、とはっ? その先が聞きたいんだけどな! 美味しいの、それとも不味いの? でも口に合わなかったらここまで食べもしないか!?

 お願いだからそこをはっきり表現して欲しい。
 の内心が再び悶々とし始めだしたところで、シンクの指が――きちんと節くれ立っていて、男の子なんだと思わせる指が、また一粒、試作品を摘まんだ。ココアパウダーを振った茶褐色の球体を口の中に放り込み、噛み砕き――それから、の顎を指で掬う。
「ん?」
 シンクの顔が至近距離に迫ったかと思えば、唇に柔らかいものが触れ、たちまちに甘さが舌の上に広がった。

「――味は、どう?」
「……あ、甘い……」

 黄色い悲鳴と囃し立てる口笛をBGMに、チョコよりも甘い唇がまた重なる。

sweety than chocolate
2018.02.03 初出
2022.04.20 加筆修正

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