お返し、してあげるよ

 最近、唇がいやにかさつく。水で湿らせてもすぐに乾いてしまう。
 ――ということをの前でこぼしたら「リップクリーム使えば?」と答えが返ってきた。
 懐をさぐった彼女が取り出したのは、彼女の手のひらに乗る程度の大きさの、平たい陶製の容器だ。つるりとした質感、楕円形の容器の意匠は、いかにも少女らしさを想起させるが。
 そんなものをが持っている、という事実がシンクに複雑な驚きをもたらす。
 もおんなだったのか。そんな一面、初めて知った。

 シンクが知るは、勘はいいのにどこか抜けていて、よくへらへら笑っていて、花より団子で、硬い掌を持った勇敢な戦士だ。シンクが生まれてからずっと、ほとんど一緒にいたというのに、まだ知らないがいたことに、少し胸がざわめく。

「……へえ。アンタでもそういうの持ってるんだ?」
「持ってら! ――と言いたいところだけど、リグレットがくれたんだよねえ」
 と、が容器を持ったままシンクに近づいてくる。陶器の蓋をひねって開く。途端に、なにかの香料が漂う。
「悪くない匂いだね」
「そっ、薔薇の香りなんだって。いい香りだよねー、お気に入りなんだ」
 手の上の小さな容器の中身をのぞき込む。軟膏らしい。の指が伸びて中身を掬う――と思いきや、表面に指を添えたまま動かない。
「何してるのさ?」
「体温で融かしてる。凝固温度が低いから、使うときに、こうやって指で温めて融かすんだよ」
「ふうん。そんな手間のかかるもの、よく使うね」
「貰う前に他にも色々試したんだけどね、これが一番優秀でねえ。……そろそろいい感じかな」
 と、軟膏の表面にそっと添えていた指が、くるりと円を描いた。指先がてらりと光を反射する。――そして徐にシンクの口元に近づけてきた。
「は、ちょっと、何さ?」
「だからさ、唇荒れ気味なんでしょ? 塗ってあげるから、ちょっとじっとしててよ」
「……好きにすれば」
 そういうことなら、やぶさかではない。シンクとしては役得ですらある。
 そうして、の人差し指が、ふに、とシンクの唇に触れた。表面をやわくなぜるように。なにか、壊れ物をいつくしむかのような力加減だ。妙な気分にさせられてしまいそうな。
 しかも、だ。てっきり、唇の形に沿って横一直線に塗るのだと――リグレットが口紅をそうして引いていたように――予測していたのだが。の指は、唇の縦皺をなぞるように、まるでじらすようもどかしさで、軟膏を塗り付けてくる。

「ちょ、」
「動かないでずれるから」

 強く言われると、まあこのままでもいいか、と大してない反抗心もしぼんで消えた。

 ――でも、やられっぱなしじゃ面白くないからね。
 終わったら実行しようとシンクは内心でほくそ笑む。

お返し、してあげるよ
2021.12.13 初出
2022.04.22 加筆修正

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