歩くような速さで

 昼下がりのダアトの街は、預言詠み上げ停止前ほどとはいかなくとも、それなりに賑わっている。
 人の往来のざわめきを背後に、アニスはテラス席の向かいに座るエッダへ声をかけた。
「最近、シンクとはどうなの?」
「どう、って聞かれても……。普通?」
「その普通の内容が知りたいのー!」
「ええ……」
 普通は普通なんだけどなぁ、とエッダは困り顔を浮かべながらこぼす。
 早朝の任務がなければ、朝食は一緒に食堂で食べる。昼休憩の時間が合えば、これまた一緒に昼食を食べる。夜の仕事上がりの後も、示し合わせたかのように食堂で待ち合わせて夕食を摂る。お互い忙しいけれども、なるべく時間を作って二人で過ごすようにしていた。


 エッダと、シンク。

 二人は第二次栄光戦争――レプリカを巡るヴァンとの戦いはそう名付けられた――を生き延び、罪を償うためにダアトへと戻ってきた。最悪、処刑されることも覚悟していたのだが。
 自首が効いたのか、それとも神託の盾騎士団がよほど人材不足なのか、あるいはそれ以外の理由か、これら全てか。とにかく二人は再び神託の盾の一員として働くことが叶った。
 もちろん前のように重要な肩書きを与えられるわけがなく、一兵卒としての扱いだ。とにかく下っ端として日々雑用を押し付けられるばかり。
 おまけに監視もついている。下手なことをしないように、だろう。そこはエッダもシンクも今更なにかをするつもりはないので、監視役とそれを命じた人間には内心でご苦労様と送っている。
 とまあ、仕事は忙しいし監視はついているが、表向きは一般の騎士団員なのだから、こうして友人と食事をしてお茶をするくらいは黙認されている。


「じゃあ聞き方を変えよっかなー。シンクのどこが好きなの?」
「っ、ごほ、」
 コーヒーを飲みかけていたところだったので危なかった。
 ゴホ、ゴホとむせるエッダに、アニスはごっめーんと軽い謝罪をかける。
 しばらくむせていたエッダは呼吸を整えると、恨みがましい目でアニスを睨んだ。
「ちょっと、危ないじゃない」
「だからごめんってば。ね、それで、どうなの?」
 顔面いっぱいに知りたくてたまらないと書いてある。
 コーヒーカップをテーブルに置き、エッダは顎に指を添えた。

 シンクの、好きなところ。
 好きな……ところ。
 ……好き?

「わ、分かんない」
「はぁ?」
「シンクが好きとかどうとか、考えたこと、なかった、し……そりゃ、大切では、あるんだけれ、ども……」
 語尾がだんだんしぼんでいくのは、目の前のアニスが信じられないものを見る目つきでエッダを見てくるからだ。
「……あれだけ一緒にいるのに?」
「う、うん」
「ちなみにその大切って、どういう大切?」
「失いたくない」
 そこだけはきっぱりとした返事だった。
 アニスは天を仰ぎ、内心、これは前途多難だよぉーと呟く。
 なにせエッダ、にぶいにもほどがある。

 でも、どこが好きかと訊かれて動揺するってことは、無意識でもシンクを異性として見ているからかも知れないよね、とアニスはひとり頷いた。


 *


「……なに?」
 シンクの怪訝そうな声で我に返る。エッダはとっさに首を横に振った。
「あ、ううん、なんでもない」
「そう。なんでもいいけど、ご飯冷めるよ」
 知らず知らず、シンクを見つめてしまっていたらしい。それというのも、昼間、アニスにされた質問が頭に浮かんで仕方がないからだった。

 ――シンクのどこが好きなの?

 考えたことも、なかった。止まっていた食事の手を再開させながら、向かいの席でオムライスをつつくシンクをちらりと見遣る。
 スプーンを持つ手が案外骨張っているだとか、オムライスを頬張る際に少し伏し目がちになるとまつ毛が長いことが分かるとか。今まで気にしたこともなかったことが気になってしょうがない。一度意識してしまえば、次から次へと色々なことが目に留まってしまう。
 ……シンクは、どう思っているんだろう。
 ふと、思いつく。
 大切だと、言われた。
 離さないとも言われた。

 ――シンクはあたしのどこが好きなんだろう。

 思いもがけず閃いたそれに動揺する。
 え、待って、あたし今なんて思った?
 それじゃあまるで、

「顔、赤いよ。熱でもあるんじゃないの?」
「ええと……そうかも……」
 こちらを気遣ってくるシンクの顔をまともに見られない。

 それじゃあまるで、シンクがあたしを好きでいて欲しいみたいじゃないか。


 *


 近頃エッダの様子がおかしい、とシンクは思う。
 会話をしていてもどこか上の空だったり、それを指摘すれば慌てふためいたりと、とにかく普通の状態じゃない。
 彼女になにかした覚えはないので、心あたりがあるとすればアニスだった。

「アイツに妙なこと吹き込んでないだろうな」
「ほぇ?」
 神託の盾騎士団員でごった返す昼時の食堂である。
 今日から数日、エッダは遠征任務に出かけている。だからこそアニスをつかまえて気兼ねせず話を切り出すことができた。
 喧騒に紛れてしまったらしく、うまく聞き取れなかったようで首を傾げる少女にもう一度問う。
「エッダになにか言ってないかって訊いてるんだよ」
 今度はきちんと聞こえたようで、アニスがニヤリと笑みを浮かべる。
「もしかしてまだ言ってないの? エッダに、『好き』って?」
 目を細める姿は、やはりエッダになにかを言ったことを証明していた。
「……うるさいな。お前に言うことじゃない」
「なんで!? あんっっなにいい雰囲気してるじゃなーい!」
 なんでなんでー!
 うるさいアニスに、シンクはため息をついた。
「言っておくけど、アイツは恐ろしく鈍いんだよ」
 思い当たることがあったようで、あー、とアニスは声を漏らす。
「でもでも、だったらなおさらのこと、きちんと気持ちを伝えることが大事なんじゃないのぉ?」
 それは言われるまでもない。
 けれども、果たしてエッダに好意を伝えたところで、正しく受け止められるかどうかシンクには分からない。
 ……大切だ、離さない、とは伝えたけれども。そこにどんな感情が含まれているのか、エッダが気づいているかどうか。
 黙ったシンクに、アニスは助け舟を出すつもりで口を開く。他人の恋愛ほど見ていて楽しいものはない。
「シンクのどこが好きなの、って訊いたら動揺してたよ、エッダ」
 分かんない、っても言ってたけどね。それを聞いて、嘆息する。
「……分からない、か」
「わたしからすると脈ありって感じだよぅ。ようやく意識した、って感じ!」
「だといいんだけどね」
 意識されているのだろうか。仮にそうだとするならば、ここ最近の挙動不審にも説明がつく。アニスの抜け目のなさは買っているが、他人である以上、人の心は分からない。
 それにしても、とアニスは陽気に笑う。
「まさかシンクと恋バナできる日が来るなんて、思ってもみなかったよぅ」
「それは同感だね」
 こうしていられるのも、エッダと共に生きると決めたからこそなのだろう。


 *


 シンクと顔を合わせない日が数日続くだけで味気ないと思うなんて、とエッダはため息を吐いた。でもおかげで分かったことがある。
 シンクに会えないと、寂しい。
 会って、他愛のないおしゃべりをしたい。一緒の時間を過ごしたい。

 多分これが、『好き』という気持ちなのだろう、と思う。
 シンクのいう『大切』がどういうものだとしても、あたしはシンクが好き。
 胸を張ってそう言える。

 遠征任務の帰還は夜となった。
 本部入り口をくぐったホールで解散の号令がかかる。身体中、汗でべたべただ。早く汚れを落としたくて深夜の廊下を足早に歩くと、自室の前に人影を発見した。腕を組んで壁にもたれかかっているのは。
 
「シンク?」

 足音で気づいたらしく、顔を上げてこちらを見てくるのは間違いなくシンクだ。深緑の眼差しが、灯の灯りを反射して煌めく。
「おかえり」
「た、ただいま。……どうしてここに?」
 エッダの疑問は自然なことだ。いかんせん、夜も遅い。
「遠征の帰りの予定は聞いてたから」
「そ、っか」
 うまく言葉を紡げない。自覚したばかりの恋心はシンクに会えて素直に嬉しいと感じているのに、どう振る舞っていいか分からなくてぎこちなくなる。
「突っ立ってないで部屋に帰ったらどう」
「あ、うん」
 促されて扉の前に立つ。鍵を取り出しながら、シンクがここにいる理由を考えていた。なにか急ぎの用事でもあるのだろうか。
 鍵穴に鍵を挿し込み、がちゃり、音を立てて解錠する。ドアノブに手をかけて、隣を見た。
「部屋、入る?」
「そのつもりで待ってた」
 口にしてからとんでもない問いだと気付いたが、それよりもシンクの返答に驚いた。夜更けに、自分の帰還をわざわざ待っていたなんて、どれほど大事な用件なのだろう。
 部屋に入って灯りを点ける。
 と、シンクに片手首を掴まれた。思いがけない体温に肩が跳ねる。
「……シンク?」
 向き合った彼は少しの間うつむいていたかと思うと、やがてゆるゆるとおもてを上げた。
 その表情に心臓が跳ねる。
 灯りに照らされたのは、どこか懇願するような、切なそうに眉を寄せる少年の顔だった。
「……どうしたの?」
「エッダがいない間、ずっと考えてた。……どうしたらエッダがボクと同じように想ってくれるかを」
 掴まれた手が熱い。

「ボクはエッダが好きだ」

 言葉を失った。
「好きなんだ」
 その眼差しの真っ直ぐさに目を奪われる。
「あ、」
「返事は今すぐじゃなくていい。待つから。考えてくれれば……」
「あたしも!」
 とっさに強い声が出た。シンクの瞳が丸くなる。

「あたしも、好き。シンクが、好き」

 言い聞かせるように、一言をひとことを、区切って。
 エッダの言葉が沁み込むまでに時間がかかったようで、ややあってから、
「……本当に?」
「嘘ついてどうするの」
 掴まれていた手をほどかせ、両の手でシンクの手を包み込む。そうすると彼のもう片手が重なり、温もりがいっそう強くなる。

 このあたたかさが好きだ、と思う。
 この温もりの隣にいたい。

「好きだよ。世界で一番、大好き」

 深緑の瞳を見つめ、ありったけの気持ちを込めて微笑む。そうすればシンクもやわらかな表情を浮かべた。
「ボクが傍にいたいのは、エッダだけだ」
 手を引かれ、一歩近寄る。
 外された片手がエッダの頬に添えられ、何度も何度も優しく撫でてくる。

「……今度はフリじゃないよ」

 唇に触れたのは、思ったよりもずっとやわらかな感触だった。

歩くような速さで
2022.04.16 初出
2022.04.20 加筆修正

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