神を殺した日

 惑星オールドラント。
 町の外には危険が満ちている。ひとの死は珍しくない。
 人が人を、魔物が人を襲って、殺す。


 *


 ――どうして、

 は、すっかり冷たくなった母の腕の中で呟く。

 ――どうして、預言は、

 彼女の両親は熱心なローレライ教徒であり、また随分な倹約家でもあった。
 生活必需品以外の出費は少なく、そうしてこつこつと貯めた金で、年に一度、石碑巡礼の旅に出ることを唯一の楽しみにしていたといってもいい。
 彼女自身は、ただの――遠い昔の御伽噺が刻まれている――石を訪ね歩くことに、てんで興味が湧かなかったけれども。
 普段の日常から、一歩飛び出す旅そのものを心待ちにしていた。

 旅に出る前のことだ。街の礼拝堂で、と両親は預言を詠んでもらった。
『実り多き旅になる。……そう、詠まれています』
 ローレライ教団に所属する預言士スコアラーは、そう言って、やわらかく微笑んだのだった。
 よい旅となりますように、とも言ったのだ。
 確かに覚えている。
 けれども毎年同じようなことしか口にしないので、違うことを話さないような決まりでもあるのだろうか、という疑問さえ抱いたぐらいだ。

 ――どうして預言は、外れたのだろう。
 ――それとも嘘を、ついたのだろうか。

 実り多い旅になどならなかった。

 パダミヤ大陸の玄関口、ダアト港から出立してすぐ、魔物に襲われたのだ。

 旅には、たちの他にも数人の大人が同行していた。
 港の簡素宿で知り合い、同じように巡礼の旅を行うのだと知り、誰が提案したわけでもないのに自然と同行が決まっていた。
 ……人数が多いほうが、生き残る確率が高いからだ。
 金がある人間は傭兵を雇い、対価として身の安全を得る。支払能力がない人間は、対価を得ることはできない。
 暮らしている街で武器を売っていないわけでもないが、日々の営みのため働くことで精一杯の人間に、身を護るための術(すべ)を学ぶ時間はないに等しい。だから裕福ではない人間は身を寄せ合い、誰かの命と引き換えに安全を得ようとする。
 己の身を危険に晒してまで、あの古い石を拝む価値があるのか。
 にはほとほと理解しがたい。彼女には、両親の信心深さは備わらなかったようだった。

 ――両親ならば、預言を疑っただろうか。

 が魔物の牙から逃れられたのは、幸運としかいいようがなかった。
 母親が彼女に覆いかぶさるように倒れ、その母親にかぶるようにまた、別の大人が倒れる。地面で頭を打って意識を失い、目が覚めたときには、彼女ひとりだけが生きていた。
 密着している母の身体が、段々とぬくもりを無くしてゆく経過も、――じっと身動きもできず、ただひとり。
 預言が間違ったのだろうか。
 嘘の預言を言われたのだろうか。
 預言は絶対ではなかったのか。
 なぜ人の死が関わる預言は詠まれないのだろうか。

 ――預言とは、人の命と引き換えにしてまで、護り通さなければならないものなのか。

 魔物に襲われたことよりも、預言が外れたことの衝撃が大きく、母の冷たい腕の中でぐるぐると考える。

「血の匂いがすると思えば……。魔物に襲われたか」

 ざり。と、靴底が地面を擦るその音に、はっと息を呑んだ。

 とっさに声を張り上げる。
「こ、ここ……!」
「生き残りが居るのか?」
「ここ! ここにいるよ……!」
「どこだ?」
 声だけでは分かりづらいかと、手を上げようとしたが、身体を拘束するように抱かれた恰好だったので無意味だった。
 どさ、と、重いものを投げた音がしてから、暗かったばかりの視界にひかりと男の顔が見えた。
「無事か?」
 まだ若い男だったが、精悍な顔立ちに落ち着きにある表情の青年だった。
 彼に手を貸してもらい、母の遺体の下から抜け出せば、ふと視界に入ったのは、

 特徴的な紋様の服――
 腰に剣を――
 神託の盾騎士団に所属して――
 ならばローレライ教団の関係者――

 預言。

「どうして、」

 とっさに口を突いて出た。
 一度ともった火は消せない。
 その法衣の裾を握り締めて、すがる。

「ねえ どうして、預言は詠んでくれなかったの、『今日この日に魔物に襲われる』って。そしたら、父さんだって母さんだって、旅を止めるなり先延ばしするなり、対処できた、はずなのに。旅に出る前、詠んでもらった、『実り多い旅になる』って。でも、そんなの、嘘だった。みんな死んだ、あたし以外みんな魔物に襲われた! 預言士(スコアラー)が嘘をついたの? それとも間違ったの? 絶対のはずの預言が? 間違うんならどうして預言は詠まれるの? 絶対なんて嘘だったの? なんで、」

 ぎり、と奥歯を噛み締めて絞りだす。

「なんで、父さんと母さんは死んだの」

 握り締めた白い布をべとりと真っ赤な血が汚した。……庇ってくれた、守ってくれた母の血だ。

「ねえ、」

 そして、預言に殺された血でもある。

「何が正しいの。預言は……本当に絶対、なの?」

 は死を覚悟した。
 ローレライ教団、ましてや神託の騎士団に所属しているからには、多かれ少なかれ青年は預言を信じているはずだ。そんな相手に対して預言を疑うような発言をすれば、背信行為ととられても仕方がないだろう。
 預言を信じない者など聞いたことがない。
 魔物に襲われるついさきほどまでは、自身も預言を信じていた。
 でも今は、違う。
 死が迫り、確信した。
 預言が全てである世界に、預言を信じないものは存在などしてならない。

 ゆえに、消されるのだ。
 しかし、の予想とは裏腹に。
 いつまで経っても青年は剣を握ろうとする素振りがなかった。
 ふっ、とかすかな笑いで空気が揺れる。かと思うと、その長身を畳み、視線をに合わせたではないか。
「預言を疑うならば、私と共に来るか。小さき同士よ」

 海のように青い瞳がずくん、と、の心臓を貫いた。

「行く」

 躊躇なく頷いたのは、いま信じられるのがその瞳だったから。

 これがとヴァン・グランツの出会いだった。

神を殺した日
2010.12.07 初稿
2021.10.17 加筆修正
2022.04.20 加筆修正

back