手。それは深淵へといざなう、
「はーい、じゃあ、自己紹介しまーす」
昨日は顔合わせしただけだからね、と、夜色の瞳の少女はにこりと笑ってみせた。
「あたしの名前は・。よろしくね」
「名前……」
「そう。覚えてね――って言っても、嫌でも覚えるか。今日から君の世話係を任されたから」
「……?」
せわがかり。意味が、わからない、ことばだ。
シンク、という名前を得て間もない彼はこてりと首を傾げる。そうすると少女――、は、また、にこりと相好を崩してみせる。
「君の傍にいて、君が分からないことを教えて、君を導く役割のことだよ」
「……、は、ボクの傍に、いる?」
「うん」
頷く少女の姿に、シンクは、何か、言葉以上の意味が込められている……そう、思った気が。した。
だが。まだ生まれて二日目の彼には、その感覚を的確に捉えることも、ましてや言葉にすることもできない。ただ『このという少女は自分の傍にいる』という事実だけを頭に刻むだけだ。
「いつまで?」
「おおっとぉ、そう来たか。う~ん、そうだな……そうだね……」
わずかな間、の笑顔がくしゃりと歪む。
またぼくがしょぶんされるまで――、シンクの脳裏に浮かんだ言葉は、
「シンクが嫌って言うまで、かな」
はにかんだ笑顔の前に、消えた。
*
「――って言っただろ?」
「よく覚えてたね」
感心した風に夜色の瞳が瞬く。辺りの暗さと同じ瞳だ。ダアトからこの少女を連れ出したときは黄昏時だったのに、すっかりと夜が更けてしまった。
だが都合がいい。夜風のざわめきに二人分の足音も紛れる。一晩、発見が遅れれば、そのぶん追手との距離が稼げる。
シンクとは第四石碑の丘に立った。
眼下、遠くに、夜更けのダアトの街が見える。
念のために、持参したホーリーボトルを自分との外套に振りかけた。
「夜通し歩くよ」
「うん、分かってる」
――どこまでを。
「どこまで?」
「はあ?」
素っ頓狂な声があがった。なにを言っているの、と顔に書いてある。
「今ここでボクに付いて来るってことは、アンタは今度こそ裏切り者の烙印を押されるってことだよ」
「わかってるよ、それぐらい」
訳が分からない、と怪訝な表情のにシンクは続けて言う。
「帰る場所も無くなる」
「元から、なかった。とっくにない」何をいまさら、と肩をすくめる。
「世界を敵に回すんだ」
「味方なんてシンクくらいだよ」
きっぱりと言い切った。即座の応(いら)えに、シンクの心臓のあたりがじわりと熱を灯す。むずかゆい。もどかしい。
「連れて行って。傍においてよ。嫌になるまで」
の、懇願の眼差しに。
シンクは。
――嫌になるまで、だなんて。
「……だからこうして迎えに来たんだ。地核の底からさ」
手を伸べる。夜色の少女へと向けて。
そしていつかのように、シンクの手にはぬくもりが重なった。
*
・ 元奏手。
神託の盾騎士団 元第五師団所属。
地核突入作戦の折にキムラスカ軍により捕縛、捕虜引き渡しによりダアトに収監されるも、外部からの手引きにより逐電。
その後、新生ローレライ教団の一員として活動する姿が目撃される。
手。それは深淵へといざなう、
2018.01.27 初出
2022.04.22 加筆修正