熱。それは指先に灯る、

「いるわけないじゃない?」

 ――と。
 確信とよりも断言に近く、宣言に等しい強さで。
 彼女はさも当然のように否定した。

 己に惚れる男などいるはずもない、と。

「だって、そうでしょ? 総長の世話になった関係で何かとやっかみは多いし。奏手だけど師団長じゃないから年上の部下から嫌味は多いし。不本意ながら男とタメ張れるくらいの力があって、前線に出るから女と見られないし!」
 指折り数え、自身の特徴を挙げ連ねる娘は得意げな顔だ。
「ほらね。神託の盾が実力主義とはいえ、反感買う要素のほうが多いよ」

 ――何がほらね、だ。

 並んで歩くシンクは内心で呆れ、溜息を吐いた。
「馬鹿だね」
「馬鹿とはなにさ。馬鹿とは?」
 むっと、不満げな表情になったは気づかない。

 ――女ながら勇敢に戦う姿は老若男女問わず羨望の的だし、階級にそぐわない穏和な態度で身の程知らずの馬鹿たちが勝手な憧れを抱いていること、アンタは知らないだろう? 

 今だってそうだ。
 すれ違いざまに慌てふためいて礼をとった哨戒兵が、階級が高いシンクよりも部下のを長く見ていた。
 彼女がゆるく口角を上げて微笑みを張り付けもすると、去っていく男の後姿は耳が熟れた林檎のような赤だった。

 ――すこぶるつきの鈍感は時に残酷だ。

 鎧の音が遠ざかったあとに再びシンクを睨むには、兵士に向けた笑顔を名残も感じさせない。眉も険しく己を睨みつけてくる姿に、観察、洞察、推察力がないわけじゃないはずだけれど、とシンクは不思議でならない。

 ――試してみようか?

 思いもしない、あるいは思いもよらないその感情が自分に向けられていると知った、そのとき。彼女がどんな表情を浮かべるのか。

 シンクが、にやり、といった擬音の似合うように口元を歪めれば。
 何かよからぬ気配を感じ取り、は本能でわずかに身を引いた。
 その空いた隙間を埋めるようにシンクが距離を詰める。そうするとは再び後退し、シンクが迫り、と無言でいたちごっこを繰り返すことしばし。

「げ。――なに、いったい何なの? あの、不気味なんだけど、シンク?」

 は立ち位置がたまたま壁側近くだったため――だからこそシンクが悪巧みをただちに行ったともいえるが――あっけなく壁に背をつけてしまった。
 ほぼ密着した距離にあるシンクの顔を、いつもより接近した仮面を仕方なく見ようとして――顔を背けた。
「顔、近い、し?」
「何だと思う?」
 シンクはおもむろに、グローブのはめた手を伸ばしの頬に添える。

 ――日頃、女にあるまじき怪力だの、生まれる性別を間違えただのと、揶揄を飛ばされるとしては、触れられた手つきが案外優しかったことにいたく驚いた。
 形を確かめるように親指の腹で頬の丸みを何度もたどる仕草など、果たして慈しまれているのかと錯覚に陥るほど。
 あんまりのことに。抵抗するだとか。嫌がるだとか。そういう考えは、頭がどこかに、置いてきてしまったようだ。
 それにしても顔がひどく近い。視線の高さもほぼ同じのため、仮面に開いた隙間から、彼の目の色が見えてしまいそうだ。これがなければもっと近くにあったかも分からない。

 ――?

 途端にこみあげてくる、自分でも把握できない衝動に、はとっさに目をつむってしまった。


(誘ってる……ように見えなくもないな)
 シンクはというと、てっきり抵抗があると思っていたのだが。
 予想したそれもなく、わずかに朱の差した頬と、伏せられた瞳が意外で予想外だった。これでは襲ってくださいといわんばかりだ。もちろん彼にその気はないし、間違いなど起こさない自負がある。
 これはささやかな悪戯。
 あくまで、余興に過ぎない。
 片手で触れていた頬を、両手で包み込むようにすると、伏せったままの睫毛がふるふると震える。頬から伝わる熱はあたたかかった。密着した体から伝わる熱を意識せざるをえないのだろう。
 いよいよおかしくなって、喉で小さく笑ってから、ささやくように名前を呼ぶ。

「……、」

 それから、

 少しの力を込めて頬をつまんだ。

「!?」
「顔真っ赤だけど、キスされるとでも思った? 馬鹿だね」
 直後、ひらりと身をひるがえせば、寸前まで彼がいた場所に拳がヒュッと空を切った。容赦のない一突き。
 ひとは怒りが過ぎると笑顔を浮かべるというが、彼女が浮かべている表情はそれに近い。そして目が笑っていない。
 ああ面白いな。は感情豊かに笑い、そして怒る。

「とっ、年上をからかうなーーっ!!!」
「嫌だよ、」
 もう一度だけ「馬鹿だね」と言い、全速力で駆け出した。

 ――革手袋に包まれた手と、それに仮面の下がいやに熱いことも、彼女との鬼事のせいにして。

熱。それは指先に灯る、
2018.01.31 初出
2022.04.22 加筆修正

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