それはかすかな優越感
あの娘は限定された条件下で、『馬鹿』がつくほど、とてつもなく鈍感になる。
「個人的に指導? 私が?」
「は、はい! 時間外の個人的な訓練になるのですが、自分の部隊が何人か、奏手がよろしければ是非、御指導を賜りたいと申しておりまして」
「そうですか……」
顎に指を添え、おそらく時間の都合がつくかどうかの計算を始めたのだろう娘は。目の前の兵士が己に向ける、一寸違った期待の眼差しに気がつかない。
否、もし視線を合わせたとしても、察したかどうかも怪しい。
いやきっと気づかない、とシンクは思う。浅慮ではなく、経験からくる直感が答えを導き出す。
気づけよ。
その兵士の期待に満ちた目が、単に“尊敬できる上司”を見るものじゃないってことをさ。
ややあって、は宙に向けていた視線を対面する部下へと戻す。
「いいでしょう。私で良ければ」
「ほ、本当ですか?」
気づけよ。
そいつが顔いっぱいで表現している感情に。
「ありがとうございます! では、本日十六時に訓練場で――」
面白くないな。
「ボクも行こう」
「シンク?」
「し、師団長!? し、しかし……」
「部下の面倒を見るのは師団長の務めでもある。それとも、が良くてボクでは不都合な理由でも……あるわけ?」
「い、いいえ! ご多忙な身ですのに光栄です!」
「そう。じゃあ行きなよ。用件は済んだろ」
「失礼します!」
ガチャガチャと去っていく鎧姿。
その背中を、期待外れで残念だったねとせせら笑う。
割り込んでやった時、表情から喜びが一気に抜け落ちたさまは、見ていてとても愉快だった。
ざまあみろ。ボクの勝ちだ。
何に対する勝ち負けかも、定かではないけれど。ふと湧き上がる感情に抗わなければ、その名前はすとんと腑に落ちた。
「珍しいね、シンク直々の個人訓練なんてさ」
どうして優越感を覚えるんだ。
そんなもの、覚えて何になるんだ。
下らない理由、意味を見出せない動機。
必要性を感じない感情が自分の意思とは関係なく生まれ、それを扱いかねて持て余しているとは何が何でも知られたくない。
「気が向いただけさ」
努めて平静を装った。
感情を殺すことには慣れている。
「……何ニヤニヤしてるの。気持ち悪い」
「失礼な!」
いっそ感嘆に値するほどの察しの悪さに、今だけは救われる。
それはかすかな優越感
2018.01.20 初出
2022.04.20 加筆修正