手。それは温もりのある、

 レプリカ。
 そう呼ばれる存在が、いま、の目の前にいた。
 旧図書室奥にある極秘の実験場から密かに連れ帰ってきたのだと、ヴァンは言う。
 導師イオンとそっくりな顔の人間は、どこを見ているのか、それとも何を見ていないのかもわからない、茫洋とした視線をさ迷わせていた。被験者オリジナル同様、線の細い少年だ。
「――導師イオンの、レプリカ?」
 告げられた言葉を復唱する。
「そうだ。譜術の力こそ導師に劣るが、身体能力の高さから利用価値があるので連れてきた」
 利用価値。
 ヴァンがそう言葉にした瞬間、少年が小さくふるり、と震えたことには気づいた。

 ――レプリカはまっさらな状態なのだという。
 ディストの研究室に入り浸っていたころ、難解極まる研究書を興味関心から読みふけったことを思い起こす。
 まっさら。
 真っ白な状態の記憶。
 言い換えれば、赤子同然なのだという。
 実際、アッシュのレプリカとして生み出された『ルーク』は、当初、立つことも、歩くことも、しゃべることもままならなかったそうだと聞いている。
 それに比べると、この導師のレプリカはきちんと自らの足で立っているし、とヴァンの会話の内容も理解している。同じレプリカでもずいぶん違うものだな、とそんな感想を内心で抱く。

 ……そこまで思考を馳せたところで、は、少年の半袖の衣服から覗く二の腕が、いやに赤らんでいることに気が付いた。

「総長、この子、火傷してるよね。治していい?」
「火山の熱気に晒されていたからな。いいだろう」

 ヴァンの言葉に不穏なものを感じながらも。
 は、少年の、体の横にだらりと下がっていた手を取った。
 やけに熱い――というより、炎症を起こしているのだろう。触れるだけで痛みがあるようだ。びくりと拒絶するように身じろぐ彼に、つとめて穏やかな声音と表情で話しかける。
「大丈夫だよ。あたしは、君を、傷つけない」
 害意はないと、笑いかける。
「……本当に?」
 ようやく少年が口を開いた。虚ろだった眼差しがようやくを見る。
 深い森色の瞳。本当に導師イオンと瓜二つ――全くの同一存在――なのだと思い知らされる。
 彼が身じろいだ瞬間に顔をしかめたこと、動きのぎこちなさから、腕だけでなく全身が火傷で痛むのだろう。――ならば、中級治癒術の出番だ。
 頷き、は集中するために目蓋を閉じた。全身のフォンスロットを開く。音素の声を聴き――その中で特定の音素を引き寄せる。癒しの力。第七音素セブンスフォニム。スロットから体内に取り込む。力の流れを意識し、イメージする。目の前の、まっさらでいて、何かにおびえている少年の全身を包み込む淡い力――。

「癒しの光よ――ヒール」
「――!」

 息をのむ音が聞こえた。
 目を開ける。
 ありありと驚きの表情を浮かべた少年がいた。

「まだ痛いところ、ある?」
「ない、けど。……今のなに?」
「それは追い追い説明する。、シンク、戻るぞ」
 会話を切り、ヴァンが歩き出した。
 シンク、というのか。
 途方に暮れた顔の少年。
 導師イオンのレプリカ。
 けれども、名前がある。「イオン」ではない名前がある。

 名前があって。
 これからの境遇が異なり、見聞きし、体験するものが全く異なってゆくのならば。
 ならばそれはもう、自分と同じような、唯一無二のにんげんなのではないかと、はなんとなく、そう思った。

手。それは温もりのある、
2018.01.21 初出
2022.04.20 加筆修正

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