誠実なてのひら

。書類にミスがある」
 窓から陽光の差し込む、騎兵隊隊長の執務室にて。
 上司にして騎兵隊隊長たるガイアに呼ばれ、は席を立ち彼の執務机の傍に立った。机上で示されたのは幾枚かの書類で、確かに自分が処理した記憶がある。
「ここと、こっちと、それからここだな」
「分かった。書き直す」
 差し戻された書類を受け取り、席に戻る。知らず、溜息がこぼれてしまった。
 ここ数日、どうにも調子が振るわない。つい一昨日も、油断したつもりはないのに戦闘で傷を負ってしまった。利き腕ではなかったのが不幸中の幸いと言うべきだろうか。こうして書類仕事をする分には支障が出ないのに、それでミスを出してしまっては立つ瀬がない。
 指摘された書類の訂正箇所には印が付けてある。
 今度は間違わないように、と新しい紙を用意しようとしたとき、再びガイアから声がかかった。
「ちょっと出かけるぞ。付いてこい」
「どこへ?」
 今朝の申し合わせのときには、外出の用事があるとは聞いてない。疑問に思い問い返すと、隻眼がにこりと笑った。
「行けば分かる」


 *


 騎士団本部を出ると、午後のやわらかな陽射しがモンドの街並みに降り注いでいた。
 言われるがままガイアの後をついて行くと、たどり着いたのは知る人ぞ知る、といった場所に据えられたベンチ。そこに颯爽と腰かけた彼に、は怪訝な顔を隠しえない。それを見てとったガイアはにっこり笑うと自分の隣を手で叩いて示した。
「座れ。こんないい天気なんだ、仕事する気も失せちまうってもんだろ?」
「……初めからこのつもりで?」
「勿論だ」
 ますます笑みを深くするガイア。こうなっては付き合うしかないと悟り、は溜息とともに彼の隣に大人しく座った。急ぎの仕事はない。最近はなにかと慌ただしかったから、たまにはこうして息抜きをするのも悪くはない。
 隣り合って座り、何ともなしに景色を眺める。奥まった場所にあるこのベンチはのどかな雰囲気に包まれている。なるほど休憩するには適したスポットだと思ったところで、ガイアがおもむろに口火を切った。
「ここ最近、疲れが溜まってるだろ」
「え?」
 とっさに振り向くと、視線がかち合った。その眼には気遣わしげな色が浮かんでいる。
「いつもならしないミスが多いからな。見てれば分かる。戦闘でもらしくなく傷を負って」
 そうして先日に負った腕の傷を服の上から軽くさすられる。そのことに痛みはないが、咎められているような気がしてはばつの悪いかおを浮かべた。
「う……、ごめん」
「ああ、謝って欲しいわけじゃない。まあその、なんだ。もっと俺を頼れ。なんせ恋人なんだ、遠慮する必要がどこにある?」
 そう言うガイアの声音と表情は、どこまでも穏やかだ。
「それは、そうだけど」
「というわけで。ほら」
 ぽんぽん、とガイアは自らの膝を叩いて示す。その意図が読めず、小首をかしげる。
「?」
「恋人らしく、甘えてくれ。そうだ、今日は俺が膝枕をしてやろう」
「えっ」
 は目を丸くさせ、それから、うろ、と視線をさ迷わせた。突然の提案と、人が来ないかを気にしてのことだ。
 そして気付く。ガイアが人目につかないここのベンチを選んだのは、このだめだったのだと。
 ここまでお膳立てされては、断れるはずもなく。
 恋人からの甘い誘いに、ひとつ、頷いた。
「それじゃあ……お言葉に甘えて」
 ガイアの腿の上に頭が乗るよう座る位置を直してから、ゆっくりと身体を倒す。そっと頭を載せた太腿はやはりというべきか、鍛えられた筋肉のしっかりと硬い感触がした。
 いつも自分がしているときは、ガイアはやわらかい、と言う。その男女の彼我がなんともむずがゆく、また、新鮮で自然と笑みが浮かんだ。
「なんだか変な感じ。でも、安心する」
 呟きに、頭の上から穏やかな声が降ってくる。
「そうだろう? そら、寝ちまえ」
「うん。……ありがとう」
 言われるがまま目蓋を閉じる。
 ――ここは、静かだ。街の喧噪も遠く、時折吹く風が頬を撫でて心地よい。
 顔にかかる髪をガイアの手がよける感触がする。それが少しくすぐったく、笑みが浮かぶ。
 は、手持ち無沙汰だった手も彼の太腿の空いた箇所にそっと載せた。
 頭と、手と。じんわりと伝わってくる体温が心をみるみるほどいていく。よくガイアに膝枕を求められる理由がよくわかった。感じる温もりが安心へといざなってくれる。
 瞼の裏に陽射しを感じながら、の意識は段々と沈んで行った。

 ――やがて、小さな寝息が聞こえだしてきたころ。
 まろい形の頭を撫でる手つきが、眠る彼女を見下ろすガイアのおもてがひどく優しいことを、彼女は知らない。

誠実なてのひら(初出 2021.05.15)

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